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- 石上七鞘さんのブログ
石上七鞘
性別:男性
生年月日:1947/1/17
博士(文学) 専門分野、民俗学・古代日本文学/執筆家/講演家
松蔭大学教育開発センター長、コミュニケーション文化学部長、日本文化コミュニケーション学科主任・教授として教鞭をとる傍ら、日本古来の伝統文化や土地に纏わる暮らしぶりを、研究・伝承・継承していく事を自身のライフワークとしている。
平成19年8月 日本テレビ“世界一受けたい授業”に講師として出演する他、平成21年スカイパーフェクトTV「暮らしの知恵を科学する~木火土金水、陰陽5行を中心に日本人の生活の知恵と工夫を探る」番組等にも出演。世界遺産検定公式テキスト:日本の伝統文化遺産を監修。著書『日本の原点』『日本の民俗伝承』『化粧の民俗』『十二支の民俗伝承』他を執筆。高崎正秀博士記念賞受賞
上代文学会理事
NPO法人現代女性文化研究所理事
公益財団法人ミツノ教育振興財団理事
民俗学研究所所長
上代文学研究所所長
一般社団法人和ハーブ協会(JHF:Japan Herb Federation)顧問
教育と文化を振興する「教育文化研究会」代表
- 日テレ3月10日1...
2018-03-03 00:31:10 - 教育文化研究第5号...
2018-02-04 16:43:36 - 教育文化研究第4号...
2017-07-30 17:43:26 - 松蔭大学に子ども学...
2017-04-09 23:52:08 - 教育文化研究第3号...
2016-10-30 23:04:34
- 10月と11月の講演案内
-
ご無沙汰しています。
大学が高校生や受験生に大学の情報を公開する「大学ポートレート」の準備をしており、ブログ失礼しました。
今日10月19日は、和ハーブ協会のインストラクター養成講座で、13時から15時まで、麻布十番の協会本部で、「植物と民俗」のでの講演です。
来週10月25日は、前回のブログでご紹介した松蔭大学の大学祭での講演です。厚木森の里キャンパスで、14時30分からです。
「日本の女神・女王・女帝」です。
この日は、11時から、西谷直樹さん達のアルマスワールドのパフォーマンスがあります。
13時からは、人形浄瑠璃で国指定の無形文化財長谷座の「壺阪霊験記」の上演がありますか。お待ちしております。
11月1日はあつぎ協働大学の講演を行います。
「祭りと祈り」(祝祭と祝言)です。会場は松蔭大学の本厚木駅2分の駅前キャンパスです。お越しください。
4つ目は、11月22日、厚木市郷土資料館で、日本の化粧の展示を兼ねて「日本の化粧史」を2時間講演します。このご案内は、またこのブログで掲出する予定です。
[2014-10-19 12:20:10]
- 人形芝居上演と石上の講演
- 松蔭大学祭で国指定無形民俗文化財の「相模人形芝居」の上演と石上の講演があります。来聴歓迎!!
上演:人形芝居、長谷座による「壺坂霊験記」
日時:平成26年10月25日(土)14:00?14:50
場所:松蔭大学森の里キャンパス 松陰ホール(予定)
石上の講演題目:[日本の女神-女王-女帝]
1. 神話の女神天照大神
2. 女王卑弥呼
3. 推古天皇
4. 日本を守った女性達
講師:松蔭大学 日本文化コミュニケーション学科主任
教授・博士 石上 七鞘
日時:平成26年10月25日(土)15:00?16:00
場所:松蔭大学森の里キャンパス 3503号室(3号館5F)
[2014-08-11 11:16:40]
- 人形芝居上演と石上の講演
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松蔭大学祭で国指定無形民俗文化財の「相模人形芝居」の上演と石上の講演があります。来聴歓迎!!
上演:人形芝居、長谷座による「壺坂霊験記」
日時:平成26年10月25日(土)14:00?14:50
場所:松蔭大学森の里キャンパス 松陰ホール(予定)
石上の講演題目:[日本の女神-女王-女帝]
1. 神話の女神天照大神
2. 女王卑弥呼
3. 推古天皇
4. 日本を守った女性達
講師:松蔭大学 日本文化コミュニケーション学科主任
教授・博士 石上 七鞘
日時:平成26年10月25日(土)15:00?16:00
場所:松蔭大学森の里キャンパス 3503号室(3号館5F)
[2014-08-11 11:16:15]
- 命名(名づけ)
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命名(名づけ)
生まれた子に名前をつける人を「名づけ親」、または「なおや」といいます。子供の後見人として,命名する仮り親のことをいいます。子供が生まれて7日目に名前をつける儀礼で、名前を紙に書いて床の間や神棚・仏壇などに貼(は)るなどして祝います。現在では実の親が命名する場合が多いのですが,以前は産婆が取上げ親として名づけ親を兼ねた場合もありました。あるいは、親類,子福者,村長さんなどが名付け親になっていました。特に病弱の子とか,親の厄年の子など,子どもの成長が危ぶまれるようなときには,拾い親や養い親などの仮親を立てて,その人が仮り親となって命名しました。命名のほか、仮り親は、未成年の子の儀礼に際し、実の親に代わって行事をつかさどり、取り上げ親・烏帽子(えぼし)親・鉄漿(かね)親などがあります。成人後の仲人も仮り親であるともいわれます。
名はその子供の幸福を願い付けられるもので、その子の魂を示しています。本名を知られると、その人の自由に支配されることになるので、女子は、本名を明かさず、あだ名や源氏名を名乗って本名を隠してきたのです。
『万葉集』の1番歌に、21代天皇の雄略天皇が若菜摘みの乙女(巫女)に求婚する歌があります。天皇はこの乙女に名前を尋ねています。乙女が名前を答えれば、天皇の求婚は達成され、晴れて婚姻がなされることになるのです。
私は、受講生の女子学生に、むやみに名前を答えてはいけないと指導しています。名前を知られると、その男性に支配されてしまうからと注意しているのです。
[2014-05-23 08:46:54]
- 出産
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ブログご無沙汰をしており、大変失礼しました。平成26年度となり、これからは、人生儀礼の続編と折々のトピックを掲載して行く予定です。宜しくお願い申し上げます。
小生はFacebookを使用していないので、お便りは、n.ishigami33@gmail.com までお願い申し上げます。
お産の風俗
江戸時代の出産は一般的に座産でした。産婦は、天井から吊り下げた綱や介添人を支えに出産しました。最近は、欧米をはじめ日本でも、この座産が見直されるとともに、水中でするお産も試みられています。
産屋の利用
藁葺き屋根をそのまま地面に被せたような産屋を利用して出産していたのは大正時代の初め頃まででした。地方では、それ以前お産のたびに産屋を建て替えていたようです。産屋で出産していた頃は、7日7晩こもり、その後自宅で出産しはじめた頃には産後3日3晩、戦前・戦中には2日1晩、それから産後数時間のみとなり、次第に産小屋へのこもりの習慣はなくなりました。
産屋での出産は、陣痛がはじまると家の者が川に梯子をかけて上に戸板を渡し、必ず夫が先導をして産気づいた妻を産屋に連れて行きました。このとき普段使っている板橋は使わなかったようで、それは梯子の『コウ:格』にあやかり、子がたくさん産まれる様にと祈りをこめたからともされています。しかし、橋や梯子を使って渡ることが異郷との往来を示していることから考えると、産屋入りは聖なる場所への旅であったことが覗えます。
産後の後産(あとざん)胞衣(えな、胎盤)は、産屋の隅に積んである小石の下に埋めた地方もありました。それは次に産屋の利用者がある頃には綺麗に無くなっていたといいます。屋外で産屋を建てない時のお産は、樹木の根元に腰を降ろして座産をし、後産の胞衣は、穴を掘って埋めたともつたえています。
ともかく、いつの時代も安産で母子の健康を祈ったものです。
[2014-04-11 08:43:56]